子供のころの大地震の経験 – 千代田都市鑑定/土内 昌紀
自分は北海道の南端の襟裳岬から北西方約三十㎞の小さな漁村で生まれ育った。サラブレッドや日高昆布の産地として知られるが、十数年から三十年程度の周期でマグニチュード八前後の大地震(十勝沖地震)に襲われている地域である。今回の東日本大震災のような巨大地震とは比べようもないが、場所によっては津波による被害が相当出ていたようである。
自分が高校生の時に経験した十勝沖地震(一九六八年)では、ゴォーという地鳴りとともに激しい縦揺れがあり、その後横揺れが来た。
比較的揺れの大きな地震は時々あるため、家具は固定され、住民はストーブなどの火をすぐ消し、家の外へ逃げ出すのが習慣となっていた。 また、大地震の場合には、海岸付近の住民はすぐに高台へ避難をしていた。
自分の住んでいたところは地盤が固いためか、建物の損傷がほぼ無く、また地形のせいか大きな津波に襲われることはなかった。しかし、比較的近い場所でも昔は泥炭地であったところは建物の損壊も発生していた。
漁民であった父は、大地震の後は浜が狭くなると話していたが、その当時自分は大地震による影響で砂浜が波により侵食されるのかと考えていた。
その後プレートテクトニクス理論を知ることになり、太平洋プレートが北米プレートに沈み込み、結果的に地盤が押し上げられていたため浜が広がっていたのではないかと考えている。(但し、諸説があり、学問的に正確かどうかは不明)
子供の頃に干潮時には砂浜で野球ができたのは、このプレートの沈み込みによるものであるとしたら、やがて解放されるプレートによりまた大地震が発生することになり、複雑な心境である。
今回の東日本大震災では、自分の事務所のある東京都心部では建物の損傷もあまり見られず、建物の耐震性は実感できたものの、今後、地震の発生する場所や地震の周期などによっては建物の傷む程度はかなり異なってくるであろう。東京に関していえば、南関東直下型や立川断層による地震の被害が大きいようであるが、特に極めて発生確率の高い東海、東南海、南海等の巨大地震の発生が懸念される。
今後の不動産の鑑定評価においては、地盤の安定性、建物の耐震性(免震性)や省エネルギー性(環境配慮型)、そして津波などによる地域の浸水の危険性の程度等の要因が評価額に与える影響はますます大きくなってゆくものと考える。
千代田都市鑑定株式会社
不動産鑑定士 土内 昌紀
株式会社ビル経営研究所の「週刊ビル経営」より転載(許諾済)
TAGS: 不動産・不動産の鑑定評価地震・土内昌紀・地震・鑑定評価 | 2011年7月27日